大切な友人をなくしましたので, 実際の弔辞を以下に述べます.
今日もこちらは寒いです. 今, あなたはどこにいるのでしょうか?
京都の冬はまさに深まろうとしています.
そういえば私とあなたが初めて出会ったのは今日のような寒い日, そう, 私の誕生日でした.
私は誕生日のプレゼントとクリスマスのプレゼントとを一緒くたにされてしまう冬のことが昔から嫌いでした. また小学生の頃には毎年なぜか冬に縄跳び大会があって, 体育着は短パンでしたので, 足を寒風に晒し, 鞭のようにしなる縄がその足を容赦無く打ち付けたものです. 大人になると冬には自律神経の不調が目立ち, 毎年のように体調を崩しています. 私は冬が嫌いです.
そんな冬の日にあなたに出会いました. あなたもきっと覚えていることと信じていますが, 当時の私は自転車で大学に通学しており, 信号機が赤に変わるたびにハンドルを握る手をマスクを外して自分の吐息で精一杯暖めていたものです. そんな時, 私の手を心配したあなたが私の両手を握りしめてくれたのでした. 私は, ここまで両手の温かいことは幸せであるとは今まで生きていて知りませんでした. 人と手を取り合うこと, その温もりの心地よさは, あなたが教えてくれたのです.
あれから長いようで短い日々を二人で過ごしましたね. 今となっては本当に短いように感じます. でもあの幸福な記憶は私のなかで永遠に生き続けると信じています. 私はあなたのような素敵な人と手を取り合って毎日のように大学に通えて, 本当に幸せ者でした.
本当に, 切実に, 教えて欲しいのです. 今も私はあなたと辿った通学路を通るたびにあなたの幻影を追っているのです――――今, あなたはどこにいるのでしょうか? 私は常に, 誰かに答えてほしくて, そう問いかけています. 答えがないことは知っているのです. その問いかけは, 私の狭く暗い心で反響し続けています.
京都の冬はまさに深まろうとしています. 私の両手を握りしめて暖めていてくれたあなたはもうここにはいませんが, 私は今も自転車で大学に通っています. 自転車のハンドルを掴む私の手は寒風に晒されても湯に漬ければ直ぐに元に戻りますが, あなたを喪失した私の心はもはや永久に凍土のうちに閉ざされ, 季節がいくら巡ろうとも陽の目を見ることはないのではないか.
このような別れがあるのならば, この別離の苦しみが定めであるのならば, 私はもう他の手を取り合うことなんて出来ないのではないか. まだあなたをなくして間もないからでしょうか, そう思えて止みません. こんな気分のままだとあなたが心配するから, そう思って私は自分を幾度となく奮い立たせますが, そうしても直ぐにあなたのいないことに気付いて呆然としてしまうのです. そういう様なのです.
今週末の予報も雪です. 願わくば出会ったあの日のように, 手を取り合って雪の中をまた一緒に歩みたかった. それだけです. でも, 少しは手の冷たさに慣れないといけないですね.
今日の日記は以上です.