遅刻しそうになり校舎へ駆ける星宮いちご, 霧矢あおい, 紫吹蘭の3人は, 噴水に架かる虹に触れようとして噴水に落ちてしまった天然少女・有栖川おとめと知り合う. おとめは第17回全国ポップガールコンテストのグランプリに輝き, 多数のCMにも出演している実力者だった. そんな中, 担任のジョニーからクリスマスイブの夜のスペシャルクリスマスイベントのためのオーディションがトーナメント形式で行われることが発表され, 一回戦のいちごの相手がおとめであることが判明する. おとめと戦えることを喜ぶいちごだったが, おとめが自身の天然を自覚して見えない所で他人より何倍も努力を重ねる「努力の人」であることを知り発奮する. トーナメントではいちごがおとめにか辛うじて勝利したが, いちごの勝利を喜んで讃えるおとめの目には涙が浮かんでいた. そこへ学園長(とジョニー)がやって来て, おとめに敗者復活戦の存在を告げるのだった.
業を感じています.
有栖川おとめは2つの大事を背負ってこのアニメに新たな展開をもたらしました.
まずはキャラがいちごと被っているという点です. これはあおいや蘭, そしてジョニーによって言及されていました. 2人ともいわゆる天然, 天真爛漫で, 普通なら挫けるような場面でも挫けない……. 当たり前ですが, アイドルを目指す女の子は(少なくともスターライト学園というこのアニメの舞台では)沢山いて, それぞれ個性はあれど, 大まかに分類して「似通っている」人がたくさん居ます. 実際にはおとめには陰で人一倍努力したり, 本番前には緊張したりする繊細な一面があり, いちごとはもちろん異なるのですが, それでも「キャラが被る」と親しい人から(!)判断されるのです. お恥ずかしい事ですが, 私にはこういうアニメでは「個性は重複しないもの」という暗黙の了解が刷り込まれていて, こういう似通った(と判断される)個性同士が競るということが起ころうとは全く想定していなかったので大きく心が揺さぶられました. 彼女たちはこのアニメにおいてはあくまでメインキャラクターとしてスポットライトを浴びる立場にありますが, 全体のなかでは星の数ほどいるアイドルの数人に過ぎないと考えると, 美月と蘭が口を酸っぱくして言う厳しさの片鱗が少し分かった気がします.
私は全くの門外漢ですが, 現実(のアイドル)にも同様の事情はありそうですよね. お茶の間に「その人そのもの」を認めてもらえるようなアイドルというのは本当のトップアイドルだけで, それ以外は多くの場合では属性や肩書を一瞥しただけで判断されてしまうでしょうし, それらが「期間限定」――現役高校生, 有名大学生, etc――であれば, そのアイドルは自ら売り出すための期限を設けるという宿命を背負っているようにも思えます. インスタグラムのタグがやたらと多いのにも関わらずいいねの少ない投稿のようになってしまう過剰装飾された自分の重みも自己嫌悪を誘発しそうです. 何より個性を属性に依ろうとすると, どの属性にも自分を上回る人がいるわけで, どこに行っても行き止まりに感じ, オーディションに不合格になれば原因の分析を忘れて自己が否定されたとばかり捉えてしまいそうで……こういう現象は身に憶えがありますね. 少なくとも私たち(私はアイカツ!の)ファンは, アイドルその人を応援するように努めたいものですね.
次に2点目ですが, おとめは「負けて悔しい」という感情をこのアニメで初めて直接的に表現した女の子だと思います. そもそもいちごは第2話の感想でも言及したように, 勝負に負けたり, 他人と比較したりすることによって生じる悔しさを未だに知らないかのようなそぶりを見せます. その背後には, 美月に友人と一緒にあがって行けるとは限らないと言われようとあおいや蘭と一緒にトップアイドルになることが目標であり, その過程で生じる競争は3人全員を引き上げるものなのだから個人の敗北には意味がないとでも言うような余りに真っすぐな思想が透けています. 一方で芸歴の長い美月や蘭はアイドルとして生き抜くことの厳しさを知っており, 新人のいちごには, いちごの真っすぐな願望が必ずしも達成され得ないという示唆――彼女たちも元々は「真っすぐ」であったに違いありません――を何度も与えています. 幾度となく悔しい思いをしているであろう美月と蘭については, 今までどちらかというと大人びた側面が強調されおり, 悔しさをあからさまに表出するということは(彼女たちの性格を考えても推察できる通り)一度もありませんでした. しかし, おとめは初登場のこの回でいちごに敗れ涙したのです1. 緊張から解放されたという安堵, 人一倍努力をしたという自負が結果に裏切られたという悲しみ, 勝ったのは大好きないちごちゃんだという純粋な喜び, 反発しあう感情を整理されきれずに溢れ涙となる, 今までの回でいちばん感動的なシーンでした. さて, おとめの涙をいちごはどう受け止めたのでしょうか, 次話以降で明らかになるのでしょうか……?
11話以降も楽しみです.
・ありすが蘭にらぶゆーした時, おいおいこいつと思いましたが, ありすのらぶは博愛の意味と判明しました(以上, 審議終了).
・七海が純白の制服を着ていますね!……と思ったら, 十数後, ジョニーが教室にやってきた頃には通常の制服を着ていますね……? これはどういうことなのでしょうか? 作画のミス?
・ジョニーの「天然×天然=ミラクル」という発言について, いちおう数学をしている学生としての見解を述べておくと, これは正しいです
・寮のお風呂でっっっっっっっか
・(大カス余談) 鈴川「歌詞は心に染みたのか?」の音は森博嗣のWシリーズを連想させます(Wシリーズの題名は順に, 彼女は一人で歩くのか? 魔法の色を知っているか? 風は青海を渡るのか? デボラ, 眠っているのか? 私たちは生きているのか? 青白く輝く月を見たか? ペガサスの解は虚栄か? 血か, 死か, 無か? 天空の矢はどこへ? 人間のように泣いたのか? となっています)
・それはそれとして鈴川の「歌詞を魂の叫びにしろ」という指摘は正しいと思いました. その人がふさわしく扱える言葉があると私は信じていて, (私的な)正統性を感じない語彙を使用している曲や文章に対して違和感を持つことがあります(もちろん内容や曲調に合わせて意図的に外していることもあるでしょう). 愛染が「あまり強い言葉を使うなよ 弱く見えるぞ」と言ったように, 「外れた」言葉たちは嘘の印象を強く抱かせ, 歌っている(または書いている)人の人格と歌詞(文章)との乖離を嫌でも意識させてしまいます. ……というのは自意識と相手の意識を混同し過ぎで, 流石に曲や文章という独立した創作物に対して失礼ですが, それでも歌う言葉を身体に馴染ませるくらいの作業は必要なのでしょう.
私も涙したのです. ↩︎